玉舎 春輝 Shunki TAMAYA 1880~1947
明治13年(1880)5月17日岐阜県高山市生まれ。本姓は清水、本名は秀次、通称は秀次郎、別に臥牛庵と号す。1歳のとき玉舎家の養子となる。明治32年京都に出て、原在泉、山元春擧に師事。明治33年から日本絵画協会と日本美術院との連合絵画共進会で受賞を重ね、春擧画塾の同攻会展・早苗会展に出品、早苗会評議員となる。明治42年第3回文展に『蹈険集利』で初入選。大正元年第6回から7年第12回文展まで連続入選。大正8年「日本自由画壇」を結成に同人として参加、以来その定期展に出品する。大正10年、13年に訪中し、日本各地も取材旅行する。大正15年第1回聖徳太子奉讃美術展に『貴妃追夢』、昭和5年第2回聖徳太子奉讃美術展に『西太后』を無鑑査出品する。昭和15年紀元2600年奉祝美術展に『土』を出品。昭和17年日本自由画壇を解散、18年早苗会を解散とともに「耕人社」の結成に理事として参加する。昭和22年(1947)5月3日京都市で歿、66歳。
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